こんにちは! ITコーディネーターの山原朝哉です
初めまして……かな?
ITコーディネーターの山原朝哉です。
沖縄でIT経営コンサルタント、プライバシーマークコンサルタントを中心に活動していて、ファシリテーションを活用したコンサルティングを得意としています。
このホームページは、乏しい知恵を振り絞って、少しでも沖縄の企業の皆様のお役に立ちたいと、願って作りました。
山原朝哉の個人情報
資格等
- ITコーディネーター
- ファイリングデザイナー
- 小型4級船舶免許 ただし取得後一度も乗っていない…
出身地・現住所
- 出身地:那覇市美栄橋(現 牧志)
- 現住所:浦添市西原
略 歴
- 生年月日:1960年11月27日
- 高 校:沖縄県立那覇高校
- 大 学:私立法政大学法学部政治学科
- 職歴1:株式会社 秀和 (不動産ディベロッパー)
- 職歴2:城野印刷株式会社 企画営業
- 職歴3:編集プランニング スタジオぷろーぶ主宰
- 職歴4:文進印刷株式会社 企画室長、総務部長
- 職歴5:うれるチカラ!OKINAWA 代表
家 庭
- 小学校3年生を筆頭に、男児2人、女児1人の父
- 趣味はシーカヤッキング(現在、陸シーカヤッカー中)
ロックギター(現在エアギタリスト中)
ちょっと詳しいプロフィール
【社会人スタート編 -東京の街は隅から隅までバブルだった】
大学卒業後、バブル絶頂期の東京でオフィスデベロッパー系の不動産会社に勤務。
何しろ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と誰もが確信し、ごく普通の勤め人や学生が、アルマーニだカルチェだ、高級フレンチにイタリアン、クリスマスには一流ホテルでディナーと浮かれていた頃のことです。仕事では、普通の主婦が転売目的でマンションをいくつも買ったり、サラリーマンが住んでいたマンションを転売した差額で億ションに住み換えたりの“お手伝い”で、傍らを数千万から億単位のキャッシュが猛スピードで通り過ぎていった。
さらに勤めていた会社は、数千億の資金を調達してアメリカの高層ビルを買い漁り、同僚たちは、商売柄、差額が見込める物件が見つかると、仲介そっちのけで我先に購入。そんな中、自分自身は気持ち的に乗り遅れ、バブルが走り抜けるのを呆然と見送ったのでした。
【帰沖編 -バブルの余韻を引きずりつつ、いつの間にかのマック稼業】
その後、バブル崩壊とともに、壊滅状態に陥った不動産業界から逃げ出すように帰沖。
本土系の印刷会社で、広告営業や編集プランニングを経験したのち独立し、フリーライター・編集者として、商業雑誌や出版物、広報誌、広告物の編集・デザインを中心に活動するが、約5年後、事情があって事務所を閉め、友人の一族が経営する地元印刷会社に勤務。
2度目の印刷会社勤務とはいえ、仕事のスタイルが全然違うのに戸惑いつつマックの前にへたりこみ、編集者兼ライター兼デザイナー兼オペレーターとしてチラシや端物に冊子物、書籍等々の制作業務をスタートし、印刷会社のワークフローを体で覚える。この時の体験が、数年後、会社でプライバシーマークを取得する際に大きく役立ちます。
半年ほどしてオペレーター稼業から足を洗い、企画物のプランニングや編集・デザインを行うかたわら、会社の新しい事業として自治体向けに文書整理事業をスタート、この時に沖縄に数人しかいないというファイリングデザイナーの1級を取得。
さてこの文書整理事業、順調に進めば、スケールアップして文書管理コンサルティングやITコンサルティングへと展開し、経営の柱に育てたい、とも期待していたが2~3年は大型の受注が相次いだものの、例の小泉改革とやらで地元自治体の財政が急激に逼迫し、予算獲得が困難化、事業化の見込みも遠ざかっていきました。
しかし、いつまでもめげているわけにもいかない。引き続き印刷会社の生き延びる道を探して、商標・特許関係の調査事業や地域おこしのお手伝い、マーケティング調査・支援やIT導入の支援などを手掛け始める。そうこうするうちに、だんだん仕事の中心が印刷物から離れ、webやITに移っていったのでした。
【管理職編 -現場に出たいと泣いている】
で、社歴も長くなると、管理の仕事を要求されてくるわけですね。その上、お客様仕事もweb中心。しかも、毟り取った衣笠(骨董品のギャグです)のwebデザインもいつしか手元を離れ、仕事といえば全体設計ばかり。社内では、やれIT化だ、やれ統合システムだ、経営の見える化だ、ワークフローの効率化だ、プライバシーマーク取得だと、仕事の幅は大きくなるけど、どれもこれも自分一人ではできない仕事ばかりで、現場と経営方針の狭間に、いつしかもがき苦しむ様になっていった。
【出直し編 -自分が一番得意なこと】
それよりなにより、自分が一番得意なことってナニ、と自問した時に、あ、管理の仕事では決してないな、気がついたことが大きかった。
自分は、現場型の人間で、まず第一にプランナーだし、ライターである。しかも、所属していた会社のプライバシーマークを、ほとんど独力で導入し、無事取得した経験もある。
そのことと併せて、特許調査や島おこしのマーケティング調査を経験していく中で、ウチナーンチュは、もの作りは上手だけど、売るのは思いっきり下手だ、ということをこれでもか、これでもか、と強く思い知らされていたこともあり、ウチナーンチュの一人として、自分は何ができるんだろうか、と、やはり考えるようになるわけです。いつの間にか、結構いいオジサンになり、社会のことにも少しは気づくようになってくると…。
まあ、クリエイターとしてのスキルも実績も少しはある。これに地域おこしを通して身につけたマーケティングのノウハウやwebプランニング力を組み合わせれば、今、沖縄が一番必要としている“売る”ためのお手伝が、少しはできるんじゃないか。
そのための場所として、最もふさわしい場所はなにかと考えたとき、十幾年前の立ち位置にもどって、フリーで活動するのが一番いいという結論がいつの間にか出てきたんですね。
で、十数年前に独立して、売れる!チカラ OKINAWAという、ちょっと大きく構えた屋号を背負って、営業を開始しております。
長いプロフィールを我慢してお読みいただいて、ありがとうございました。